布ナプキン

 

布ナプキン。

その存在は、8年前くらいから、EDAYAで色々な野外イベントやエシカル関係のイベントに出展していた同じ並びで、そんなお店もあったことから、知ってはいた。

でも、ぶっちゃけ、血のついたナプキンを自分で洗う?なんて信じられないと思っていたし、どう考えても面倒くさいと思っていた。

ただ、人の考え方は、本当に時を経て、面白いように変わる。生理が始まった10代の頃からヘビーユーザーだった、タンポンを使うのをやめたのも、ひょんなことがきっかけだった。トキシック・ショック症候群で亡くなってしまった人の記事を、読んだこと。3年前くらいのことだと思う。

毎月必ず、やってくるものだからこそ、何にも考えずに通り過ぎるのではなくて、ちゃんと向き合った方がいいのではないか?みたいな考えが生まれてきたのは、ここ3ヶ月くらい。いくつも取り替え用ナプキンを持ち歩くのが嫌で、夜用の超ロング紙ナプキンを終日×3日くらい付けて、毎回のようにかぶれるというのを経験しても、効率性や利便性を優先していた、私が、だ。

もともと、自分の身の回りの、といっても、服とか、毎日持ち歩く小物とか、プライベートではない(という表現が正しいかは別として)どちらかというと外から見えるものは、気持ちの良い素材のものだったり、作った人の顔が見えたりするもの、何か世界と繋がれる気がするものがいいな、と思うところがあった。

でも、こと、プライベートなところ、自分の暮らしにまつわる部分は、雑というか、なんというか、そんな感じだった。大好きなヘアケア&リラックスグッズ周りは別として、毎日コツコツやっていかないといけないフェイスケアとか、歯磨きとか、そういうものは、ルーティンとして、最低限”こなす”ことはしていたけれど、行動ひとつひとつに意識をむけること、それらに丁寧に向き合うことには、あまり興味がなかったということか。

コツコツと積み重ねて行くことには、もともとすごく苦手意識があるけれど、それが出来ないことによる、最終的な効率の悪さだったり、気持ち悪さだったり、というのに、なんだか敏感になってきた、というのが、全ての最近の意識の変化の原泉かも。小さなことと丁寧に向き合えないせいで、大きな代償を払うのは、嫌だ、なーんて、こんなことを私が思うようになるとは、自分でも驚きだけれども。

かぶれを繰り返して、取り返しのつかないお尻になるくらいなら、布ナプキンを洗うことに手間をかけるくらい、なんともない。適当な歯磨きをして、結局虫歯→歯医者通いになるくらいなら、毎日フロスする時間くらい、もてるよね、とかそういうこと。ついでに、実をいうと、手間と思っていたこと(手洗いするとか、フロスするとか)が、そこまで手間ではなくって、単純作業で頭を空っぽにすることも、嫌いではなかったらしい、というのは、新たな発見。

丁寧な暮らしを営んでいます、というには、まだまだ程遠い生活だけれど、小さな意識の変化は確実に何か、新たな風を私の日々に送り込んでいる。そして、そういう日常が、とことん楽しくって、愛しい。