言い訳

言い訳が良くないのはわかっているが、一昨日、昨日と幾分、わたし的にはヘビーなテーマでブログを書き始めてしまい、それらが、まだ下書き状態で保存中だ。ほぼ日更新は、慣れてしまえば意外と行けそうな気もしてきたけれど、凝り性の私が本気で書き始めると、ブログだけで数時間時間を食うことが判明。それはこのブログの目的には沿わない気もしていて、まぁ、ほどほどにせねば。

そういえば、少しブログと向き合っているうちに、SNSのシェアボタンすら設定していないことに気づいてしまって、それも追加してみた。内容はほぼ日記的であるし、個人の備忘録的要素が強いので、そもそもシェアを意識して書いているわけでは全くないけれど、やっぱり少しは見てもらいたいという矛盾した気持ちもあるのは、白状しておいたほうがよいのだろうか。あとは、どんな人がシェアしてくれるのだろうというところに興味がないわけではない。

あとは、7月8月のフィリピン~アメリカ渡航中に途中まで書いて、保存していたブログを10個くらい、書き足して完成させた、なんてこともしたっけ。遡って書いていてよいのか、という疑問もあるが、日記的とはいえ、時系列であることに意味性は特にないし、その日だけに有用な話題であるわけでもないし、まぁよいだろう。何を狙っているわけでもない、自作自演的なつれづれ書きなのだから。

至って、四方八方、ブログの話題は飛んでしまっているが、全体で眺めた時に、少しは私の人となりや考えが伝わるのだとすれば、それでよし。(一応)社会/ 文化起業家の役割には、発信というのもあるのだろう、と思うから。でも、まぁ、なぜ、私は漢詩を調べているのだろう、とまだ書き足しが完成していないブログを見ながら思ったりもするのだが。高麗に始まり、仏教と儒教と道教ときて、漢字とベトナム・韓国、終南別業、漢詩と、まだ3つ下書きで残っている。もしかしたら、王維と竹というところまで、いけるかもとか、思ってしまうのは、罪。ブログが時間泥棒になる前に止めなくては。

※新たにカテゴリーとして、アジア小説&映画現代アート舞台芸術というのを作ってみた。アジアの、韓国のくだりあたりは、見事に趣味の世界。まぁ、趣味万歳、ではあるのだけれど。

そして思う。話はまた飛ぶが、趣味の延長に仕事がある私は、本当に恵まれていると。写真は、ヨコハマトリエンナーレで、トヨタ財団助成同期の一般社団法人kuriyaの皆さんがワークショップをされていて、その時の完成品と共に撮ったもの。現代アートについて、いち参加者、受け手となることが、出来たのは、財産。ちなみに、EDAYAがトヨタ財団助成のもと取り組んでいるのは、【日本やフィリピンの地方の生活様式や伝統文化の価値の再発見のための「竹」を軸としたワークショップマニュアルの制作と実践】プロジェクトだけれど、ここでの私の役割は、ワークショップの作り手。受け手の視点を知らずして、作り手になるではない、との自戒も込めて、この写真。

言い訳、Done.