32歳1日目の覚悟

31歳の1年は迷いの年だった。何もかもが手探りでいつも以上に実験的で、そのうちに自分の中での意志とか優先順位とか決意みたいなものが、気づいたらこぼれ落ちてしまっていたような気がする。自分に自信がなくて、人の目を気にして、身動きがとれなくなる、嫌な自分が出てくる頻度が高くなっているのにも、危機感を感じていた。

私には一匹オオカミ的なところがあって、ひとりでいることは全く苦痛にならないし、ふらりと自由気ままに生きたいと思っている。リアルタイムでは、誰にも自分の居場所や、やっていることを知られたくなかったりもする。だけれど、誰ともつながりたくないわけではなくて、自分の直感と感性で、つながりたいと思った人とは、深く、長く、でも束縛のない立ち位置で、仁義を尽くしたいと思っている。

ただ、不調の時には、その2つの自分のスタンスのバランスが取れなくなる。極端に引きこもって、なのにひとりを満喫するどころか逆にまわりを気にしまくって落ち込むループに陥るか(華やかな感じにあこがれるのに、結局そうなれないからね)、表に出て活動しまくって、だけれどなぜか心と思考が追い付いてない、疲弊した状態が続くかのループのどっちかに陥る。

31歳の前半は、いい加減本を完成しなくては、というプレッシャーで押しつぶされそうだった。そして本を発表しても、なぜか周りと比較し続ける前者ループの中をぐるぐるしていた。後半は、初めてトライして採択になった助成案件を必死でまわしていたら、後者ループに陥った。

行き詰った。でも思い返せば、20歳で大学に入ってからかれこれ12年、自分をコントロールするという観点からは、私は、嫌になるくらい、この2つのアップ・ダウンのループを延々と繰り返してきた。それでも、自分の原点が見つかってEDAYAを立ち上げた25歳からの7年は、だいぶマシになっていて、この両極端の振れ幅は小さくなっていたのだけれど。

だから、いい加減この両極端を行き来し続けるのにも、自分自身もつかれてしまって、もっと穏やかに生きたいと思うようになったのもあるかもしれない。今年の5月頃、猛烈に、このままではいけない、変わらなくては、と思うようになった。何をとっても極端な人生から、もっと緩やかな変化の中で生きる人生にしなくては、ダメだ、と。

例を挙げればきりがないけれど、レポートでも仕事でもなんでも締切ギリギリで一気に仕上げるスタイルとか、勉強も運動もコツコツ積み重ねられず一気にやって結局長続きしないスタイルとか、短期決戦ならば、なんとか成功の範疇に収められてきたから、これまで自分を変えずじまいできてしまったけれど、これでは、何にも大きなことは達成できないと、本気で思うようになった。短距離走の成功を積み重ねるというより、長距離走を、自分で自分をきちんとコントロールしながら、進めるようにならねばという感じかな。

EDAYAの事業だって、思いつくところは結構やってきてしまった感があって(もちろんそれぞれの事業を見ればまだできることがたくさんあるのは承知ですが)、行き詰まり感が否めなくて。でも、このままじゃ終われない。これまでの繰り返しではないEDAYAを創っていくには、何か突破口が必要だと思っていた。それで、いっぱい考えて、考えて、考えて。そこで行きついた先も、やっぱり私が変わらないと、ということだった。

変わるといっても、具体的にどうしてよいかわからず、まずは私が一番苦手な、何かをコツコツ続けることをやってみるところから、やってみることにした。それが、このブログと、毎朝のヨガ。まだ3ヶ月の実践だけれど、これをあと12年続けたら、今は見えていない世界が見えるようになっているかな。あとは、一度本格的に立ち止まって、もう一度、自分のやりたいこととか、EDAYAでやりたいこととかに、向きあってみること、そして軌道修正。EDAYAもそろそろ5周年だし、なんとなく節目だと思っていて、20歳からの12年とは違う、新たなチャプターの12年をはじめられる気がしているのもある。

まだまだだけれど、7月中旬から9月中旬までの2カ月間かけて考えつくして、ようやくおぼろげながら、色々見えてきた気はしている。まだきちんとした言葉に落としこんで、公開するほどには、まとめられていないけれど、なんとなく、こんなことを思っているように思う。(社会的弱者などという、あらゆる人と人の間にある壁を越えた)人類の、時間や空間を超えて紡がれてきた叡智の交わり(=Wisdom Junction)の先に、 「わたし」と「社会」をリ・デザインしていく、広義のアート(=作品)がEDAYAがあるということ。2010年に狭義のアート(モノづくりとか)からはじまって、徐々に、実験的でコレクティブな、アート/ 教育/ 社会デザインのプロジェクトを展開してきたけれど、この32歳の1年は、原点回帰で狭義のアートを充実させること(新作出して、展覧会やりたいとか、ついいにEDAYAでも劇やろうか、とか。演劇が好きすぎて、やっぱり、ここは避けては通りたくないな的な)と、社会デザインの視点(なんとなく、農村と都市の境界が減少してくる未来なら、都市デザインの視点の方が私はやりたい?)からアートとか文化の意味性を考えること、をやりたいなぁと。

自由気ままにいられる特権を、最大限に生かして、暴れよう。ロングスパンで企画して、本当にいいものを、作ろう。自分のプロフェッショナリティーを磨こう。いただいたチャンスを、期待以上の形にしよう(社会デザイン×アートの文脈にも沿わせて形にしていきたい、トヨタ案件助成のプロジェクト、今年も採択決定!嬉しいな)あとは、やってみたくて、やってこなかったこともやってみよう。直感と感性だけは失わずに。

ある人が、自分は社会のために何かできる人を尊敬するけれど、自分にとっては、勝算のあるところで、きっちり結果を出して、自分サイズの幸せをつかむことが人生って言っていた。それを思うと、私などは、勝算のないところで、駆けずり回っていて、失敗ばかりだけれど、自分の人生が幸せだ、とは言い切れる。色んな人がいる。でも私は、やっぱり、この時代に、この世界に生まれた意味を考え続けて、社会と関わり続ける中で、自分の幸せのあり方も見出したい。(そんなことを思っていて、ふと見かけたready for?のプロジェクトのパトロンに久しぶりになってみた。少し心に余裕が出てきたのかな。)

あとは、絶対忘れちゃいけないなと思うのが、こう紆余曲折、あっちに行ったりこっちにいったり、くっついてみたり、離れてみたり、している私を、それでも、めげずに、見守ってくれている人が本当にたくさんいるということ。マイナスモード全開だった去年の誕生日は、Facebookの誕生日も非公開にして、どうせ私なんて、、とひねくれていたのだけれど、今年は、やっぱりどうしても人恋しくなってしまった。どれだけのメッセージをもらえるかが、どれだけ愛されているか、気にかけてもらえているかに比例しているわけではないけれど、やっぱり、嬉しい。多くの人に守られて、支えられてきていることを改めて実感。

32歳1日目。新しい人生のチャプターが始まったという直感を、直感から事実にしていくためにも、残り364日、こつこつ着実に、前へと進もう。自分自身をコントロールできる強さを養い、たおやかな感性を磨こう。周りへの感謝の気持ちを忘れずに。

あぁ、久しぶりに、ちゃんと覚悟する、ことを覚悟した気がする。

 

 

言い訳

言い訳が良くないのはわかっているが、一昨日、昨日と幾分、わたし的にはヘビーなテーマでブログを書き始めてしまい、それらが、まだ下書き状態で保存中だ。ほぼ日更新は、慣れてしまえば意外と行けそうな気もしてきたけれど、凝り性の私が本気で書き始めると、ブログだけで数時間時間を食うことが判明。それはこのブログの目的には沿わない気もしていて、まぁ、ほどほどにせねば。

そういえば、少しブログと向き合っているうちに、SNSのシェアボタンすら設定していないことに気づいてしまって、それも追加してみた。内容はほぼ日記的であるし、個人の備忘録的要素が強いので、そもそもシェアを意識して書いているわけでは全くないけれど、やっぱり少しは見てもらいたいという矛盾した気持ちもあるのは、白状しておいたほうがよいのだろうか。あとは、どんな人がシェアしてくれるのだろうというところに興味がないわけではない。

あとは、7月8月のフィリピン~アメリカ渡航中に途中まで書いて、保存していたブログを10個くらい、書き足して完成させた、なんてこともしたっけ。遡って書いていてよいのか、という疑問もあるが、日記的とはいえ、時系列であることに意味性は特にないし、その日だけに有用な話題であるわけでもないし、まぁよいだろう。何を狙っているわけでもない、自作自演的なつれづれ書きなのだから。

至って、四方八方、ブログの話題は飛んでしまっているが、全体で眺めた時に、少しは私の人となりや考えが伝わるのだとすれば、それでよし。(一応)社会/ 文化起業家の役割には、発信というのもあるのだろう、と思うから。でも、まぁ、なぜ、私は漢詩を調べているのだろう、とまだ書き足しが完成していないブログを見ながら思ったりもするのだが。高麗に始まり、仏教と儒教と道教ときて、漢字とベトナム・韓国、終南別業、漢詩と、まだ3つ下書きで残っている。もしかしたら、王維と竹というところまで、いけるかもとか、思ってしまうのは、罪。ブログが時間泥棒になる前に止めなくては。

※新たにカテゴリーとして、アジア小説&映画現代アート舞台芸術というのを作ってみた。アジアの、韓国のくだりあたりは、見事に趣味の世界。まぁ、趣味万歳、ではあるのだけれど。

そして思う。話はまた飛ぶが、趣味の延長に仕事がある私は、本当に恵まれていると。写真は、ヨコハマトリエンナーレで、トヨタ財団助成同期の一般社団法人kuriyaの皆さんがワークショップをされていて、その時の完成品と共に撮ったもの。現代アートについて、いち参加者、受け手となることが、出来たのは、財産。ちなみに、EDAYAがトヨタ財団助成のもと取り組んでいるのは、【日本やフィリピンの地方の生活様式や伝統文化の価値の再発見のための「竹」を軸としたワークショップマニュアルの制作と実践】プロジェクトだけれど、ここでの私の役割は、ワークショップの作り手。受け手の視点を知らずして、作り手になるではない、との自戒も込めて、この写真。

言い訳、Done.

衝動

変わりたいのに、変われない。

何かを変えないと変わらないのが分かっているのに、動けない。

ジレンマは衝動に繋がる。

ピアスをあけたって、髪を染めてみたって、出かけてみたって、

私の中身が変わらなければ、変わらないのはわかっているはずなのに、

どうしてかな。何度も何度も同じことを繰り返す。

でもあの頃と違って、その衝動の振れ幅は随分と縮まった。

大胆なことができなくなってきたのは、悲しい気もするけれど。

わずかに染めた緑色は、私の小さな、小さな、今の自分に対してのプロテスト。

光が当たらないと全く見えない緑色。度胸なし。

カエル

先月人生で初めてカエルを食べたのだが、その行為自体もアートになりうるということに、いささか驚きを感じたのが、先日訪れたサンシャワー展でであった。

コンテクストがあり、そこに対話が生まれる余地があるのであれば、単にカエルを食べるという行為が、主張になり、きっかけになり、アートになるのだ。深い。

 

グラウンド・ゼロ

2001年のアメリカ同時多発テロから早16年。当時、カナダにひとり高校留学したばかりで、英語もままらなかった私は、テレビの速報を見ても意味が分からず、これは映画の一場面なのかとはじめは思い、それにしてはあまりにも周りがざわついているので、何か事件なのだと気づいたのであった。カナダの片田舎にいて、当時はインターネットを使うこともままならず、事件の詳細も、かなりあとになって英語が少しわかるようになるころまで理解していなかったのだが、周りの人の様子に煽られるように、恐ろさだけは感じていた。

その後大学生になり、高校留学以外でまったくひとりで旅に出かけた先が、ニューヨークだった。2007年のことである。写真こそ手元に残っていないが、当時はまだ、ビルが倒壊したあたりは、たしか白い囲いに覆われていて、そこに人々がたくさんのメッセージを残していた。いまだに強い印象を残して、私の頭にその光景は焼き付いている。

それから10年が経ち、2017年夏。再びニューヨークを訪れた。そして、グラウンド・ゼロにも立ち寄った。様子は10年前とは全く異なり、2つの大きな、飲み込まれそうな深さの噴水がそこにはあった。その時の感情をどう表してよいのだろう。吸い込まれそうな水の流れを目にしながら、この地に吸い込まれ、散っていた犠牲者の魂のことを思い、そして、水という生命力を感じさせるものの力なのだろうか、なぜか、すっと背筋が伸びるような気持ちにもなり、相反するようだが、吸い込まれてはいけない、この生のエネルギーをもって、屈しない精神を持たないといけないのだ、という気持ちにさせられた。

事件から16年が経ったが、いまだ解決していないことも多い。むしろ、テロが自分とは離れたところにある、というところから、自分の身の回りでも起こりかねない、というところまで、問題が深刻化してしまった16年だ。とはいえ、私ができることは何だろう。大きなことはできなくても、この時感じた、背筋がすっと伸びるような、人の死を無駄にせず私なりの貢献を、と思った、その気持ちを大事にするべきなのだろう。

2017年夏。自由の女神を見に行くフェリーから望んだニューヨークの景色。

親日派と知日派

また知らないでいて、学んだことがあった。親日派と知日派の違いについてである。平田オリザさんの「演劇入門」の中で、「コンテクスト」について説明するために出てきた事例であった。

親日家とは、日本語では、日本の文化などに一定の理解のある人々をさす言葉であるが、韓国では親日派という言葉には、売国奴のようなイメージが含まれているという。日本語での親日家と同じような意味合いの言葉は、親日派ではなく、知日派だというのだ。

知らない、ということが、時に問題を引き起こすこともある。人生、学びを絶やしてはいけないのかもしれない。

サンシャワー 東南アジアの現代美術展

国立新美術館と森美術館で行われている「サンシャワー 東南アジアの現代美術展」に行ってきた。キュレーションのやりとか、感銘を受けることが多くて、買ってきた図録を見つつ、もうちょっと深く勉強したいなぁと思った次第。socially engaged art についても、ちゃんの学びたい。

と、びっくりしたのが、エドガーさんを含め、私のフィリピンでのアーティストの知り合いの多くが、以前属していて、今も様々なところでその名を聞く、バギオアーツギルドが、この展覧会でも紹介されていたこと。エドガーさんからも、昔バギオアーツギルドの野外展覧会で、公園の巨大な池に竹の橋かけたんだよー、とか聞いたことはあったけれど、そんなにパワフルなムーブメントだったとは!何気なしに、現地で出会っていたアーティストのみんなから、改めて話を聞かねば。バギオアーツギルドのアーカイブを展示しているカワヤンさんとも何度も会ったことがあるけれど、その展示にも出てくるAX(iS)という展覧会も、私もエドガーさんの展示で手伝ってたー、とか、 アーカイブの中にエドガーさんのお姉さんで映像作家のジョーバナサンの名前もあるー、とか思いながら、日本の美術館で、知っているバギオの人々の名前を色々見つけて、やや興奮したのであった。

都市と地方の境目

EDAYAでも2013年頃から本格的に、地方活性も視野に入れて、日本の地方とアジアの地方を竹を通して繋ぎ、国際交流/ 共創プロジェクトを展開している。けれど、最近感心を抱いているのは、都市と地方の関わり。というのも、例えば、アフリカでは2030年までに都市部に住む人々が51%となり、農村の大陸ではなくなってしまうと予測されていたりするのだ。都市と地方と分けて考えることが、なんだか違う気もしてきている。

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レガシー

とあるきっかけでオリンピック・レガシーについて調べる機会があった。そもそも私はレガシーの意味をなんとなくしか認識しておらず、初めて聞いた時には一体何のことか分からなかった。調べてみると、レガシーとは遺産のこと。国際オリンピック員会では「長期にわたる、特にポジティブな影響」と定義しているようだ。

特に私が面白いと思ったのは、レガシーキューブの概念だ。レガシーの軸を①ポジティブかネガティブか ②有形か無形か ③計画的か偶発的か として、六面体に落とし込んだ図だ(三菱総合研究所ウェブサイトより)

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普通、遺産というと、ポジティブで有形で計画的なものが注目される傾向にあるけれど、もっと無形・ソフトなども含んだインパクトを生み出していこうというための指針みたい。

ただ、前のブログでも書いたけれど、無形のもののインパクトは計測しずらい。それが、偶発的なものとなれば、なおさらだ。個人的には、このレガシーキューブにのっとって、実施された事業のインパクトの評価方法とかも気になるところ。

山女日記

毎年1回の父との旅行の行先に考えを巡らせている。ヨーロッパもアメリカも中南米もアジアもアフリカもすでに一度は行ったことがある。もちろん、それでも行きたいと思っている場所はたくさんあるけれど。ロシア、中央アジア、キューバあたり。

でもそういえば。オセアニアには行ったことがなかったな。オーストラリアやニュージーランド。今年はそのあたりに行ってみるのも良いかもしれない。

そんなことを考えていて、ふと思い出した小説が湊かなえさんの「山女日記」。確か1年前くらいに、どこか海外に向かう時の機内にもちこんだったのだっけ。短編がいくつか入っている小説なのだけれど、その後半で出てくる話の舞台が、ニュージランドのトンガリロの話だった。なぜか、とても記憶に残っていて、ニュージランドに思いを巡らせていて、一番に頭にうっすらと浮かんだのが、その小説の中での描写だった。

この小説に出てくる主人公はみな、山を登るという行為を通して、これまでの迷いや思いに自分なりの決着をつけて、新たな一歩を踏み出していく希望を得ていく。

私は、結構占いというのが小さい時から好きで、信じている部分があるのだけれど、てんびん座の私の今年の運勢は、石井ゆかりさんの星占いを見ても、しいたけ占いを見ても、”人生のターニングポイント”であり、”過去12年ほどの物語が収束して新しい12年の物語が始まる” 時なのだと書いてある。”成長して次の自分になっていく” 時期であるらしい。

私も山女日記の主人公のように、本当は自分の中にすでにあるのに、もやもやとしている、直感のようなものに向き合いに、山でも登ってみるのがよいのだろうか。その行先が、トンガリロというのも、悪くないな。